お絵かきブログ/絵を描いて見えたもの

何かをつくったり、アートに触れたりする楽しさを、共有できたらもっと素敵。

目標は具体的に

 

今日は昔聞いた石原さとみさんのインタビューの話から。

可愛いよね、石原さとみさん。

 

石原さとみさんは「生命力のある人」と思われたいんだそうです。そんでもって「励ませる人」になりたいんだそうです。

彼女は、芸能界での仕事を始めて、やりたいこと、目標を全部事細かく書き出しだそうです。もうどこの会社の何のCMに出るとかそのレベルで具体的に。で、25歳くらいの時だったかな(あやふや)、それがいったん全て叶ったそうです。すごい。

彼女は、悩むことから逃げなかったと言っていました。すごく大変だったけど悩み抜いて、今は当時と全然違うことで悩んでいるから(もう同じことをぐるぐる悩まず次のステージに行けたから)成長してると感じていると言っていました。

 

かっこいい。

 

このインタビューを聞いてから私の中で石原さとみさんのイメージが「かわいい人」から「強くて美しい人」になりました。

 

 

 

具体的に目標を書き出すっていうのはお笑い芸人のバービーさんも言っていて、ノートに書き出して、それを実現するために因数分解をしてそれも全部書き出して、少しずつ実行しているって言っていました。そしてそれがどんどん叶っていっているとも。

因数分解という言葉は、段階を細かく分けることを指して使っていました。例えば、ショーに出るという目標なら、まず調べる、応募する、面接する、みたいに段階があるわけです。いきなりショーに出るのは難しくても、ショーについて調べるのは簡単にできる。とりあえず応募してみることもできる。そんな風に細かく簡単にしていって少しずつ行動していくようにしていたそうです。

 

 

 

私も石原さとみさんやバービーさんを真似て、目標を具体的にしてみました。そうすると自分の意識が自然とそこに向くので、勝手に情報が入ってくるようになりました。関連する情報があると自然と見ちゃう。その積み重ねで情報が集まっていく。

 

私自身ぐるぐる悩んだりもするのですが、それに対してどんなことをして成功したり失敗したりしたかを、泥臭くこのブログで書いていけたら良いなと思っております。

でもそのためにはまず行動しないとね!そうしないと成功も失敗も経験談として話せないからね!

 

 

 

と、いうことで、画業とともに生きていくために頑張っていこうと思います。

今はともかく5月末締め切りの公募展に向けて描きます。入賞目指します。

 

去年も応募して思ったんですが、自分の得意、もしくは好きなジャンルの公募展に応募するのは良い経験になると思います。

公募展に出す作品って手を抜けないじゃないですか。自分で描いてるだけだと「まあこの辺でいっか」って甘えが出ることもありますが、公募展となるとそうはいきません。粘ります。自分の中の最高を出す訓練になります。

でも公募展って雰囲気それぞれなので、自分が勝てそうとか好きとかいう雰囲気で挑まないと作風が合わなすぎて苦労します。ある程度自分に合うかどうかのリサーチも必要ですね。

あと、自分が公募展に出す目的をはっきりさせておいた方が良いかもしれません。入賞するかは作品の良し悪しだけでなく、審査員の好みです。素晴らしい作品でも審査員の好みに合わなければ選外です。それで自信をなくして「自分の絵はダメだ」と思うのは勿体無いです。頑張って描いたものが選外なのはもちろん精神的ダメージになりますけどね(笑)私もがっくりきました。

私は昨年応募したことによるメリットデメリットを考えたらメリットしかなかったので立ち直りました。選外でも失ったものは特になく、応募した経験と一枚の力作とそれをSNSで見てくれた人が残ったわけですから。

 

今回の私の公募展応募の目的は、ぶっちゃけ受賞歴が欲しいからです。こう言うといやらしい感じがしますね。でもペーペーの私が画業につきたいと考えた時に、受賞歴は信頼に繋がると思ったんですよ。実際昨年入賞している方の何人かはプロの方だったので、入賞すればそれだけの技術を持ってますよって胸を張って言えると思いますし。

 

と、偉そうなことを言っていますが、実際は厳しいっすねー!!

また選外で落ち込むかなー!?

 

でもできることからコツコツとってやつです。来年、下の子が園に入ったら本格的にスタートを切りたいので、頑張ります。

泥臭い様にお付き合いください。そして私の失敗と成功(ちょっとはあるはず)をあなたの糧にしてください。

本の紹介など

さて、昨今の私はと言いますと、前と同じように公募展用の絵を描いております。完成させるんだ!頑張れ私!

 

 

引き続きクロッキーやらモルフォ人体デッサンやら。

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こどもってなんであんなに動くの。描いてるうちにどんどんポーズ変わるわ。

 

子どもの絵と言えば、いわさきちひろさんの絵が好きなことはちょこちょこお話しているかと思うんですが、鈴木永子さんの絵も素敵です。

子どものやわらかい感じとフォルムがよく表れてて、感心しきりです。

いわさきちひろさんの描く線もそうですが、子どもの柔らかい雰囲気を描くには、柔らかい鉛筆で優しく丸くリズムよく、流れるような線を描けるようになる必要があるのかなあ。

 

今後もよく観察し、人体を勉強しようと思います。

 

 

 

 

また、この本も読みました。

すごくわかりやすかったです。水墨画の魅力がよくわかる。水墨画入門書としては最適。

私が水墨画を好きなところって、線で遊んだり、独特の空間感があったり、見る人に心情を委ねてくるところなんですが、それらを丁寧に解説してくれていて、かなり好印象でした。

水墨画的なものを自分の絵にも取り入れていきたいなぁ。

 

 

 

そーしーて!!

少年ジャンプ+の漫画、『さよなら絵梨』読みました。

あらすじの説明をしにくいので省きますが、いろんな解釈のできる漫画でしたね。

作中作としてどこまでが現実でどこまでがフィクションなのかを彷徨って楽しんでもいいし、愛と別れの物語として読んでもいいし、スマホ越しの映像のようなコマ割りで展開していく新しいことを実験した意欲作とも取れるし、B級映画爆発エンドと面白がってもいいし、もっと他の捉え方をしてもいい、そんな作品。

 

ここからは私の読み方の話をします。何が正しいとかじゃなくて、ただ私の読み方。読んでない人は置いてけぼりだと思いますが、気にせず書きます笑

 

私がこの作品を読んで最初に思ったのは「え、『檸檬』!?」でした。

梶井基次郎の『檸檬』は丸善にレモンを置いて爆発する話です(なんて雑な説明)。

いまだによく理解できていない小説ですが、鮮烈なインパクトを残していく強さのある作品。

解説を読むと丸善を一つのシンボルとしてまあ吹き飛ばすイメージをしているんですが、『さよなら絵莉』ももしそうだとしたら、主人公は一体何を爆発させたかったんだろう、そんなふうに考えました。

 

私は、「映像に写ったものを真実として捉える世界」を爆発させたかったと感じました。

 

主人公は、母が死ぬ前に美しい姿を撮ったけれど、本当の母はひどいこともたくさんしていた。母を思う気持ちが母を美しく撮ったと同時に、彼が我慢していた思いを爆発という形で表現した。けれど映像に写った「美しい母」の姿を真実として捉えた人たちは、最終的に爆発をする作品作った彼を否定した。

絵莉は違った。彼の爆発を肯定した。絵莉に魅かれ共に作品を作った。美しい絵梨とその死を撮った。その作品は人々の心をうった。本当の絵莉は美しいだけではなかったし嫌なところもたくさんあった。けれども映像に写った世界を人々は受け入れ、心に残した。

主人公に違和感が残った。美しい絵梨を見る心は彼にもあったのだとおもう。だからこそ美しい絵梨が撮れた。でも彼の見た真実も思いも行き場はないままだった。彼は自分の真実を見失ったまま生きた。

吸血鬼の絵莉と会う。彼女は彼が撮った作品を真実として捉えるもう一人の絵莉。主人公は自分が一緒にいた絵莉と目の前の吸血鬼の絵莉との決定的な乖離を見る。映像の中の世界は彼にとっての真実とは異なることに気づく。

彼はファンタジーという形で自分の思いを表現する。彼は全てを爆発させる。心の中で、頭の中で、映像の中で。

 

以上が私の読み方です。最後の爆発の時、主人公は清々しい顔をしているし、彼はこれからやっと自分の思いや真実を受け入れられるんじゃないかと思っています。家族の死ともきっと向き合える。

 

良い話だったなぁ(自己満足)。

絵を描く上で人生に無駄はない

私の行った高校は私立の進学校でした。

私には完璧主義なところがあって、課された課題を律儀にこなし、大量の宿題を丁寧に解いていたので、成績はよかったです。

でも本当に校風が合わなくてつらかった。まあ学校選びのリサーチが甘かったと言ってしまえばそれまでなんですが、休み時間も宿題の答え合わせをしたり、体育祭の本番中も自分の競技以外の時間は単語帳を見ている。そんなクラスメイトたちに囲まれていました。

一人一人と向き合えばとても面白くて良い人たちなんですけど、その、常に勉強することが正義、みたいな学校の空気にどうしても馴染めなかった。

とはいえ完璧主義ゆえに簡単に勉強を放り出すことも出来なくて、必死に我慢しながら勉強を続けていたら、ある日突然何かが爆発。

もう勉強は嫌なのに勉強する大学行ってどうすんの?もっと好きなことしよ!

そう思って一気に方向転換、美大進学を決めました。許してくれた親に感謝。

 

そして美大の予備校に通い始めました。描いた絵を技術が高い順に並べられて講評を受けたりするのは、下手ゆえの現実を突きつけられてつらかったりもしたけれど、高校よりも断然楽しくて、くだらないことで笑い合ったりができる仲間がいる場にホッとしました。予備校行ってなかったら高校卒業できてたか怪しい。

 

予備校の先生はこう言っていました。

「遊びもつらいことも、みんな絵の糧になる。そこから発想を得たり作品をつくったりすることができる。だから全力でいろんな経験をしよう!」

この言葉にすごくすごく救われた。勉強だけじゃなくいい。人生、もっといろんなことをしていい。そう感じました。

 

大人になってから考えると、予備校の先生が言っていたことは絵だけじゃなくて全てに言えることだなと思いますけどね。

学校みたいな狭い世界にいると気付けないこともある。

 

絵を描いていると、「あ、これも絵にしたら素敵だな」とか「これ絵の参考になる!」とか

目に映るものが特別なものに見えてくる瞬間がたくさんあって、この、絵を描いているからこそ得られる贈り物が好きで、絵を描くのをやめられません。

いろんな経験が素敵な作品作りに繋がる。

この感覚に私は人生を支えられている気がします。

 

 

 

 

先日こどもがプールの体験教室に行ってきました。とても楽しかったようでこちらが感想を聞かずとも「またやりたいな〜」とつぶやいておりました。

家に帰ると「どうしても絵の具をやりたい」と言いだし、何を描くのかと思ったら「泳いでいる自分」の絵を描きました。

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体験がそのまま絵になる瞬間を見て、あぁこの子にとって今日のプールはとっても心が動く出来事だったんだなぁと嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

少し話はそれますが最近この本を読みました。

少々極端な部分もあるかとは思いますが、とてもよい内容でした。

最近どうもイライラしがちで、子供に小言ばかり言ってしまい(テレビに近づくな、ちゃんと座って食べろ、などですが、ずっとイライラしながらそういう指摘ばかりしている状態)、事態を改善したいと感じていました。

この本を読んで、子供に対する態度が変わりました。

 

この本には小言や指示を言わないで待つことの大切さが書いてあります。子どもがしていることではなく感情に目を向ける必要性が語られています。アイスクリーム療法なんていうのも載っています(気になる方はネットで調べてみてください)。

医師であり臨床心理士であり親でもある著者が知識と経験に基づいて書かれた本なので、説得力もあります。

 

家は基本的にくつろぐ場。安心できる場。ケアする場。話を聞いて受け入れる場。私にとっても夫にとっても子供にとっても。しつけの場ではない。そういう気持ちになりました。

そうすると自然と態度が変わるんですね〜。不思議。

 

とはいえ、私の場合、子どもたちに食事のマナーを身につけてほしいので、伝えはします。でも食事中に「あれダメこれダメ」言われたらつらいし楽しくないだろうなっていう視点をわすれちゃダメだと感じました。なので一食に一つだけ目標を設定。「今日は足をきちんとおろそう!」と宣言してその日はそのことだけ目指す。それ以外の、口開けて噛まないとか肘をつかないとかバランスよく食べるとかは、全て目をつむる。嫌な顔もしない。足を下ろしてあとは楽しむのみ!

そしたら子どもたちも「今日はかっこいい姿勢でしょ!」と嬉しそうに実践しながら食べてくれました。小言言わなくてもできるやん。

 

 

子どもたちが失敗するところを見守る精神力を、私が鍛えなければならない。

子供って失敗しても楽しければめげないんですよね。子ども特有の失敗しても立ち上がれる強さを潰さないようにするには、私の器量が試されている気がします(笑)

 

まだまだいらない小言や指示をしてしまう私ではありますが、豊かで心休まる空間づくりをしていきたいです。

 

 

 

 

話を無理やり元に戻すと、子どものすることもタイトルと一緒ですね。無駄に見えても、無駄なことなんて何にもない。遊ぶことも休憩することも失敗することも無駄なものなんてひとつもない。本当は大人も一緒なのかもしれません。

 

資本主義、成果主義が広まりすぎて、有意義なことをしていないと不安になったり自分にダメ出しをしてしまうことがありますが、豊かさを得るためにはもっと別の考え方が必要なのかなって思っています。

それに対する対処方法は今実験中なので、またいずれ記事にしたいと思います。

子育てとフェミニズム

さて、最近はと言いますと、引き続きモルフォ人体デッサンをやったりクロッキーをやったりして過ごしています。

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これとは別にまとまった時間が取れた時には、北星鉛筆さんの色鉛筆画コンテストに再び応募すべく作品作りをしているのですが、未発表作品に限るということなのでここで載せることはできません。載せたい。

 

 

 

 

 

今日は子育てにおけるフェミニズムの話。


私はフェミニストです。

フェミニズムって、女性優先みたいなイメージを持たれている場合も多いかと思うんですが、実際は男女平等というか、ジェンダー格差や差別をなくすのが本来の目標です。

だから女性優位の世界を目指しているわけではない。

ただ日本はジェンダーギャップ指数156カ国中120位という酷い状態なので、結果的に女性の地位を上げる運動が主になっています。

 

私は女子校育ち、女性の多い職場だった、ということもあってか、最近まであまり女性の生きづらさというのは感じてこなかったんですね。

でも子供を産んだら初めて自分が社会的弱者になったなーと感じました。

 

ある女性作家さんが「子供を産んだら、これからはゆっくり子育てに専念しなさいと言われて愕然とした。男性だったらそんなこと言われなかっただろうに。」と発言されていてハッとしました。こうやって働きたい女性が別の生き方を押し付けられるんだな、と。

男性が子育てに専念したい場合も色々言われるかもしれませんね。

 

これはそれぞれの家庭や個人の問題じゃなくて、社会の問題だと思うんですよ。

女性への子育て支援はある程度進んでいますが、それだけだと結局女性が子育ても家事も仕事も負担できる社会を作ろうってことになってしまうんですよね。むしろこれからは男性への子育て支援が必要。

現状男性の方が給料が良い場合も多いですし、時短勤務がしやすい環境なのは女性という場合が多い。となると、結局残業もできる男性がメインで働いて、女性は働きつつも子育てや家事をメインで担当するという選択肢しか選べない人たちがたくさん出てきてしまうんです。

こういう方法を選ぶ人たちがいることはいいんです。それしか選択できない人たちが多いということが問題。

男性でも女性でも時短勤務を選んでもちゃんと昇進できて、小さい子がいても働きたければしっかり働ける環境が整っていて、男女ともに家のことに関われる時間があるならば、問題は解決するかもしれませんね。わー大変。でも声を上げなければ社会は変わらない。

 

北欧などでは社会で子育てをカバーする制度が進んでいて、欧米ではベビーシッター、アジアでは親戚同士での子育てのシェアといったそれぞれの解決方法を持っているようですが、日本はどうなるでしょう。

日本ではこういう子育てにおける大変さみたいなのを語ると「だったら産むな」とかいう人たちが一定数いるんですよねー。子供を社会で育てるという意識が低く自己責任論が強い日本なので、なかなか難しいかと思いますが、少しでも良くなってほしいものです。

 

よく子供が騒いでると「あの親注意もしないで何やってんだ」と親に矛先がいきます。私も昔はそう思う面もあったのですが、最近は「自分で注意すればいい」と考えるようになりました。社会で育てるってそういうことかな、と。騒いでる子に優しく「少し静かにしてね〜」って言えばいいだけ。んーでもこれやると不審者みたいな目で見られちゃうのかな(笑)まあ子供はある程度騒いじゃうものなので、TPO次第だよね。

小学生の頃夕方5時になると公園に来て「帰れー!!」って怒りにくるおじさんがいたんだけど、あれは今思えばありがたい存在だったと思う。5時になる前に会っても怒ることはなかったし、ああやって地域を守ってくれてたんだよね。

今はそういう人、いるのかな。

難しい世の中だー。

絵を描くのに解剖学は必要か/平和について思うこと

最近は隙間時間にモルフォ人体デッサンを練習しています。

5分くらいあればちょこちょこ進められるので良いです。

 

モルフォ人体デッサンは、さまざまなポーズの中で筋肉がどのようについているかを見ながら描けるので、身体の構造を理解するのに役立ちます。

私は筋肉の上に身体のラインがどんな風に現れるのかを学びたいので、筋肉のラインはうっすらざっくり理解ににとどめる程度に描いて、表面に出てくるであろう線をしっかり描いています。

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さて、ここでよく耳にするのが「絵を描くのに解剖学の知識は必要なのか」と言う問い。そのニュアンスとしては「身体の構造を知っておいた方がいいだろうけど、絶対にやらなきゃダメなのかな?」といった感じだと思います。

 

これはその人によるかなと思っています。

自論ですが、初心者は必要ないかな、と。もちろん「人体の構造すげー!!解剖学楽しい!!」って人は描く上でプラスになるのでどんどんやった方がいいと思いますが、なんとなく億劫に感じるのならば、まだやらなくていい。実際の人や素敵な絵を観察して描く方がためになると思います。

描いていくうちに、ここが上手くいかないな、とか、苦手だなって部分が出てきます。そこで解剖学の知識を入れると「こうなってたんだ」とスッキリして描くのが楽になるようになります。

つまり自分にとって必要なタイミングが訪れるわけです。

 

初心者→まずは好きなものを描こう

中級者→身体の構造の基礎知識を学ぼう

上級者→ガッツリ美術解剖学を学ぼう

 

って感じでしょうか。描きたい絵柄によっては上級者でもガッツリ学ぶ必要はないかもしれませんね。

 

 

基礎知識を入れるのであれば前にも紹介したこの本で充分かなと思います。シンプルにわかりやすくまとまっています。

 

私は今、中級者くらいかなと思っているので、上級者に近づくためにもがっつり学ぼうと頑張っております。昔にやってたら全然楽しくなかったと思うんだけど、今は「なるほどね〜!だから身体のラインがこうなるのね」と楽しく学べているので、少しは進歩しているのかなと。

 

 

 

絵を描くとき、嫌いなことはしなくていいけれど、めんどくさいことは避けちゃダメだなと感じます。

だから、解剖学なんて嫌い!!って人はやらない方がいいと思います。やらなくて済む絵を考えた方がいい。

面倒だけどここ上手くいかないんだよなー上手くいったらカッコいいのになーって時は、資料探して勉強して納得行くまで取り組んだ方が絶対いい絵になると思います。

これは自分への戒めでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わって、平和について思うこと。

最近のウクライナ情勢は心配ですね。政治的発言はこのブログの意図と異なるので避け、平和について私が日々感じている話でもします。まあそれもこのブログの意図にあってるのか怪しいけれど(笑)

 

私はもともと不安が強い方でして。地震めっちゃ怖いです。

阪神淡路大震災の映像を見て子供ながら絶大なショックを受け、日常が急激に失われることに対する不安がおそらく人より強めです。小学生の自由研究も防災についてまとめた記憶。

先日子供たちと見たドラえもんでも、恐竜時代に隕石が落ちてきて世界は灰に覆われるシーンを見て、「現代でもこういうことが起こりうるんだよな…」とひとりブルーになる始末。

 

だからこそ一日が無事すぎたことに対する感謝も大きいです。それはいいところだと思う(ドヤ顔)。

そして、だからこそ、平和であることも祈っています。

 

 

 

 

10年くらい前、少年兵の保護活動をされているNPOの代表の方の講演を聞く機会がありました。

 

ある過激派組織は少年を拉致し、家族を襲わせる。

「母親の腕を切り落としてこい。さもなくば家族を皆殺しにする。」そう言って銃を突きつけられた少年は、家族を守るため、斧を持って母親の腕を切り落とす。

 

なぜそんなことをさせるのか。

 

少年の帰る場所をなくすためだ。

帰る場所をなくし、自分達の組織の一員として働かせるため。

 

その少年はその後無事保護され、保護団体が事情を説明し、母親も少年のことを許してくれた。

でも彼は言う。

「お母さんが僕を許して抱きしめてくれたことは本当に嬉しかった。でもわかってるんだ。僕がお母さんの腕を切り落とす前と同じように愛してはもらえないってことを。」

 

少年は保護施設で心のケアを受けながら暮らしている。

 

 

 

こんな話でした。

今、この時代で現実にそんなことが起こっているなんて。

驚きました。

 

私はナショナルジオグラフィックを定期的に読んでいるのですが、たまにこういった情勢の不安定な地域の様子が赤裸々に語られている回があります。

本当に、平和で無事1日が過ぎることのありがたさを思う。世界中の子供たちが幸せであってほしいと願います。

 

 

 

不安が強くなった時に思い出す法然の言葉。

明日死ぬかもわからない、死の日を選ぶことのできない私たちにできることは、ただ、今あるいのちを養い、育て、守ること。

今ある私の命を、養い、育て、守る。

 

何が言いたいのかまとまらなくなってきましたが、そんなふうに私は生きております。

幼児造形教育ってすごい。

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うちの子が野菜のヘタスタンプで遊んでいるところ。ブログの内容とは関係ありません。

子供の通っている幼稚園で「造形」の時間というものがありまして、専門の先生が来てくれるんですよね。

幼児造形の考え方ややり方には関心させられっぱなしです。日々感動してる。

 

幼児造形は、美しい作品を作ることや絵が上手くなることが目的ではなく、造形活動を通して人間的に成長することを目標としているんです。だから生きていくのに大事なことがたくさん詰まってる。

人の話を聞くこと、観察すること、考えること、実行に移すこと、困ったとき人に助けを求めること、そんなそんななんやかんやを、造形を通して知っていくわけです。

 

娘の園には三ツ山一志先生という方が来てくれています。素晴らしすぎて、もはや私が先生のファンです。

 

 

 

先生のお話の中にこんな内容のものがありました。

 

お友達は競争相手ではなく共生相手です。古い美術の教えに「人の真似はするな」という言い方がありますが、人のすることは「情報」です。すごいと思えばやってみればいい。これは感心する「力」です。

すぐにできることは「上手」ですが、できないことをできるようにするのは「がんばる」です。「自分でこんなふうに描く」は頑張る練習です。

 

絵を描いたり作ったりする活動は「自分ならこうする」と決める練習です。これが「自己表現」です。

自分で決められないこともあります。そんな時のためにお友達がいます。お友達のことを参考にしようとする気持ちに「自分で決めろ」とフタをしてはいけません。「自己表現」は独自のアイデアではなく、いろいろなものを参考にし「自分でこうする」と決めることです。

 

 

 

 

これ大人にもビシビシ刺さりますね。

私も好きな作家さんの絵をどんどん研究して吸収して自分の理想を目指そ!!

 

 

ちなみに最近はモルフォ人体デッサンをメインにやってます。そのことについてはまた今度。

 

 

隙間時間にできることを悩む

えー、かなり落ち込みました。

のっけから何だそりゃ。

 

少々体調を崩しまして(コロナではないし今は快方に向かっている)、精神的にもかなりダウンしました。

Twitter上で絵がどんどん上手くなっていく人たちを見て、自分の絵の技量にもがっかりして、珍しく「もう練習するの諦めようかな。。。」というところまで行きました。そして3日くらい寝込む。

私にしては、これ、マジで珍しいです。

絵に関しては、もちろん落ち込むことはあっても「くそー!ここから這い上がってやるー!」「悔しかったら練習だ!」と手を動かすことで乗り切ってきたのですが、今回ばかりはその手が止まり、本気で悩みました。

 

何せ、思うような練習時間が取れないのですよね。悔しい、練習しなきゃ、と思っても、その時間が取れない。周りと差が開いていく焦り。

 

ちなみに私の大体のタイムスケジュールはこんな感じです。

 

05:30 起床。洗濯や掃除、お弁当作りなど。

07:00  子供たちを起こす。朝食や園に行く準備。

08:30 園へ。

09:15 下の子を公園に連れて行ったり、スーパーに行ったり。

11:30 昼食の準備。

12:00 昼食と片付け。下の子と遊ぶ。下の子が一人遊びモードであれば家計簿つけたりクロッキーしたり。

13:30 園にお迎えへ。

14:30 帰宅し上の子の話を聞いたり一緒に遊んだり。

15:30 夕食の準備を開始。子供たちもやりたがるので少し時間がかかる。

17:00 夕食。

18:00 15分ほど読書(ここでブログで紹介しているような本を読む)し、夕食の片付けやお風呂、布団の準備などの家事。   

19:00 歯磨き。夜は歯磨きガチ勢なので、フロスやポイントブラシも使ってしっかり。子供たちも含めるとなんか時間かかる。子供たちじっとしてないし。

19:30 お風呂。

20:00 髪乾かしたり、パジャマ着せたり、子供たちが何故か走り回るやつ。寝る前の絵本読み聞かせタイム。

21:00 消灯。布団の中で子供たちと話をしたりして寝かしつけ。

22:00 就寝。

 

ちなみに夫は、私たちが園に出発してから起きてきて、みんなが寝てから仕事が終わる感じです。

仕事頑張ってくれてありがとう(泣)下の子が園に入ったら私も稼げるよう頑張るよ。。。

 

 

 

5分くらいの隙間時間であれば、ちょこちょこあるんです。

でもその中で、自分の課題や習得したい技術と向き合って試行錯誤するのって、正直難しいです。

まとまった時間が取れた時には、公募コンテスト用の作品作りにあてており(これも間に合うかあやしい笑)、練習時間が本当に不足してる。

睡眠時間を削って自分の時間を作ればいいっていう人もいるけれど、それは睡眠時間を削っても生活できる強者の理論だと思う。幼い頃からの偏頭痛持ちの私に睡眠不足は大敵で、それこそ痛みと吐き気で通常の生活もできなくなってしまう。

 

 

少々苦しさを拗らせてしまったため、Twitterを見る頻度を下げました。

 

練習を諦めようと思っても結局諦めきれず、隙間時間の細切れの5分でできる練習を必死で考えました。

そんなのないわ!!!って絶望に暮れましたが、結果的に、やってみたかったことを片っ端からやろ、と何かが吹っ切れました。

 

美しいと思うものの写真を撮ったり、歳時記読んでイメージを膨らませたり、色相や明度を見分ける練習をしたり、モルフォ人体デッサン買ってみたり、水墨画の本を見たり。

今克服したい課題とか練習はひとまず置いておいて、いずれ手をつけたいと漠然と感じていたことをとにかく全部やるターン。

 

そしたらちょっと新しい世界ひらけたかな、と思います。

 

載せる絵ないな。

 

公募コンテストは未発表作品でなければならないので、それ用のデッサンの一部分だけを。

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頑張ります。