お絵かきブログ/絵を描いて見えたもの

何かをつくったり、アートに触れたりする楽しさを、共有できたらもっと素敵。

クリスマスの思い出。ヨーロッパ。

今回、絵、ないです。公募用以外手をつけられてません。今日はクリスマスのお話!

 

子供の頃、クリスマスは魔法みたいな不思議とワクワクの詰まったイベントでした。ピカピカ光るツリーを飾って、ケーキとご馳走が出てきて、サンタさんがプレゼントを持ってやってくる!非日常感がすごい!毎年ものすごく楽しみでした。

 

子供の頃、クリスマスには七面鳥のハム?みたいなものを食べていました。親戚がお歳暮として送ってくれていたんです。あれ、好きだったなぁ。手軽に手に入らないので今は食べてないんですが、今でもクリスマスの食べ物と言って思い浮かぶのは七面鳥です。食べたい。

 

10代後半になると、クリスマスは家族のイベントから友達や恋人のイベントというイメージに変わっていきました。視覚的には街のイルミネーションのイメージが強い。

 

20代前半(もう10年前ですね)の12月に、オランダ、ドイツ、オーストリアに行きまして、そこでまたクリスマスのイメージが刷新されました。

本場のクリスマス、あちこちでクリスマス用品が売っているし日比谷のクリスマスマーケットみたいに屋台のような出店もたくさん並んでいるのですが、日本の商業的な雰囲気が絡んだクリスマスとは違ってどこか伝統的な厚みがあり、神聖さを感じました。

 

花屋でもクリスマス用品が売っておりまして、それぞれのお店ごとに色がはっきりと現れていて面白かったです。以下の写真はそれぞれ別のお店です。

ナチュラルめ

吊るすの綺麗

シック

ゴージャス

シンプル

可愛い。ひとつひとつの作りが綺麗。





この国々の12月、すごく寒いんですよ。私は雪があまり降らない地域に住んでいるので余計にそう思うのかもしれませんが。

雲がかかってしんしんと雪が降り、建物や木々が灰色みを帯びた世界の中で、クリスマスの飾りやマーケットの明かりが暖かく、とても美しく見えました。

 

荒井良二さんの「ぼくの絵本じゃあにぃ」という本の中で、クリスマスっぽいものを描かずにクリスマスの絵本を作るワークショップの話が載っておりまして、これ難しいなーと思ったんですが、みなさんだったら何をモチーフにしますか?

荒井良二さんは「ろうそくと祈り」をモチーフに描かれておりました。私は、うーん、ちょっと抽象的になってしまうんですが「明かりと暖かさ」かなと思います。

オランダ、オーストリア、ドイツで感じた、外の寒さと夜の暗さの中で、街に輝く明かりと、家に帰ってクリスマスオーナメントを飾って暖かく過ごす空気感。長い歴史の中で、人々が冬を少しでもあたたかい心で過ごすために営んできた厚み、重みが感じられて、すごくいい体験でした。

 

ちなみにこの旅行に行ったのは12月初旬です。クリスマス当日はみんな家で過ごすのでお店はほぼやってないと聞きました。10年前情報だから今はわからないけれど、クリスマスマーケットを見に海外へ行く人は時期に気をつけてね!

 

 

さて、今はというと、子供が生まれてまた新たなクリスマスの楽しみを感じています。子供たちがクリスマスツリーの飾りを投げるので「ツリーの飾りを大事にしていなかったら、サンタさんもこのお家の子はクリスマス好きじゃないのかなと思って来てくれないかもよ?」と言ったらめちゃくちゃしゅんとしちゃって、可愛かったです(笑)その後は飾りを投げることはなくなりました。

子供たちがワクワクしている姿を通して、私も子供の頃のクリスマスを追体験させてもらっているし、プレゼントをあげる喜びも増えました。

からしたらサプライズのできる楽しいイベントですね!!

 

でも一つ難点。我が家では誕生日は本人の欲しいものを一緒に買いに行くんですが、クリスマスは親で選んでます。誕生日がそんなに離れていないので、誕生日プレゼントで迷っていたもう一つの候補のものだったり普段欲しがってるものだったり興味を持ってる分野のものだったりの中から、親がチョイスしてあげるんですが、周りの人がね!結構聞くんですよ!「サンタさんに何お願いした?」って。

いやいやいや、うちサンタさんにお願いシステム採用してないんですー!!子供が期待しちゃうからやめてーー!!!

まあその返答が参考になることもあるんだけどね。

 

今年のクリスマスも楽しみです。

 

 

友人とお茶して、感性について思いを馳せて、絵っていいなって思う話。

先日、友人と赤坂プリンスクラシックハウス、ラ・メゾン キオイに行ってまいりました。

コロナ禍につけ幼い子の育児もあったので、友人に会ったのは実に2年半ぶり。2年半誰とも遊んでなかったのかと驚愕する(笑)

下の子が生まれると同時に引っ越してコロナ禍突入し、ママ友は無理に作ろうとしていないので(挨拶や世間話くらいはするよ。綺麗で優しいママさんが多い!)、本当に久しぶりの“友人との時間”でした。

 

彼女は美大に通っていた頃からの友人で、自分の価値基準がしっかりしているところや穏やかなのに自分の意見ははっきり伝えるところや自分で楽しいものを探そうとするところが素敵な人で、絵のセンスも良くて、私にとってはソウルメイト的な存在です。

 

キオイのアフターヌーンティーも彼女の勧めで行くことになりました。私の中にはこんなお洒落な選択肢は皆無なので(笑)、こうやって素敵な新世界に連れていってもらえるのもとても嬉しいイベントでした。

クリスマス感満載!

 

 

その友人が「世の中に出て自分の感覚って少数派だったんだなと感じる」と言っていました。

友人曰く、絵の予備校や美大では共有できていた感覚が社会に出てみると少数派で、うまく言えないけれど周りでは感性的な話が少ない、とのこと。

「大学の先生が卒業の時にメッセージをくれて、今でも覚えてるんだけど。これからも素敵な感動をどんどん見つけていってくださいっていうようなこと。そういうことを言う人が少ないなーって。」

 

何となくわかるような気がする。私もうまくは言えないけれど。

卒業の時ではないけれど、その先生がくれたメッセージを発見したので紹介します。

謙虚に自分を顧みて挑戦を続ける先生らしい言葉。そして身の引き締まる言葉でもあります。

 

 

絵っていうのは不思議なもので、巧く描こうとかとか小手先の技術で描いたものでは伝わらないけれど、本気で心から描いたものであれば、その人が何を思いどんなものに興味があって何を信じているのかみたいな、心の奥にあるものを描く人と見る人が対等な目線で語り合うことができると感じています。

そういうのって言葉にするのって難しい。気恥ずかしかったりもするし。普段生活している中でそういうやりとりができることってなかなかないし。

だから絵を通して語り合えるってとても素敵なことだなぁと思うのです。

 

 

「観念を打破する」といえば、私は荒井良二さんの絵本がすごく好きで。

美しい絵を描く技術も持っているんですが、子供のような自由さも持ち合わせていて、出版社に「これは元々印刷されていたものですか?それとも誰かの落書きですか?」って質問がきたり、子どもに「下書きの線は消したほうがいいよ」とか言われたりするような、幼い頃の原体験に近い描き方もされる方なんですね。

初めて見た時、胸がドキドキしました。ああ、絵ってこんなに自由でいいんだ!絵を描くってこうやってワクワクするものだった!って。

 

私も絶えず新鮮な感動を得るよう心がけて、生きて描いていきたいです。

画家として活動するための勉強

子育て支援活動をしているcherishさんに、描いたイラストを使用してもらいました。

私が絵でやっていきたいという話をしたのを覚えていてくださって、声をかけてくれました。ありがたいことです。

 

 

 

先日こんなツイートを見ました。

自分のやりたいことって意外とわからないものですが、こうやって「もし有り余るくらいお金があったら」とか「ここが何でも自分の思い通りに理想が叶う世界だったら」と仮定した上で自分は何をやるかってことを考えると、意外と見えてきたりすることがありますね。

 

私は今は画業に挑戦したいですねーーー。

でも道のりを思うと恐怖も感じてます(笑)

 

 

以前、画家として食べていくにはどうしたらいいのかということを書いた書籍『完売画家』を紹介しました。

完売画家

完売画家

Amazon

 

 

こちらの本も画家として食べていく方法を紹介した本。

『完売画家』が美術業界のメジャーのやり方とすると、こちらの本はインディーズで食べていくやり方と言った感じ。

自分のお客は自分で作る、という内容が心に響きました。

とてもわかりやすく説明してくださっており、読みやすいです。絵の技術と絵を売るための活動のバランスが大事ってことがわかります。

 

絵を多くの人に見てもらう必要がある。でもそれは流行りの絵に寄せるってことではなくて、自分の絵が刺さる人に届ける努力をするってことなんですね。

 

 

なるほどなーと思い、ぼちぼちSNSマーケティングの本を読み始めました。いやー、やっぱり本は違うよ!正直ね、ネットで検索するとまぁこう。。。「いいねはこうやって増やす!」とか浅ーい内容のフォロワーの増やし方がゴロゴロ出てくるんですよ。。。もちろん中にはきちんとした記事を書いている方もいると思うんですが、そこに辿り着くまでが大変そう。

本はね、もちろん本にもよると思うんだけど、ターゲット層の狙い方とか分析の仕方とか、ちゃんと書いてありますよ。普通に面白いですね。使えそうな知識がぎっしり。

今は正直スマホやパソコンに向かえる時間自体が少ないので、Twitter等もかなり低浮上なんですが、来年度(下の子が入園する)からは運用していきたいな。

 

 

読み物としても面白かったSNSマーケティング関係の本はこれ。

美術館運営の裏側って感じもあって、楽しく読めました。そんでもって勉強にもなる。

諦めることは明らかにすること

先日こんな記事を読みまして。

作家山崎ナオコーラさんの「あきらめる」子育てとは - 北欧、暮らしの道具店

 

調べてみたら、「諦める」の語源は「明らむ」。つまり「明らかにする」ことから来ているそうなんです。

仏教で「諦める」とは「物事の理をはっきりした上で、その理に合わないことを捨てる」ことを指すのだとか。

これ、大事!って思いました。「諦める」という言葉を使うとどうしてもネガティブなイメージがついてまわります。でも「明らかにする」と考えると、現実を受け止めて次の手を考える、前へと進むニュアンスが入ってくる感じがするんです。

理想の自分とは違う行動をとってしまったり、周りと比べて焦ったりしたときに、諦めたらなんだか負けたような気持ちになるけれど、そういう自分はそういう自分であることを認めて明らかにして、これからのことを考える。

絵を描く時間がなかなか取れなくて、周りの人はどんどん進んでる気がして、どうしようって思ってたけれど、実際時間が取れないことはもう明らかにして、今の自分にとって必要なことを取捨選択していく。それしかないんだなって認めました。こうやって大事なことだけが残っていって、どんどん自分が明らかになっていく。

 

 

 

こんな本も読んだんですが、子供の頑張り方と大人の頑張り方って変えなきゃいけないらしいんです。

子供は体力もありますし身体が成長する事によってできることが増えるという面がありますから、我慢したり最後まで諦めずに粘るような頑張り方が有用だったりするんです。だからそういう教育を受ける。

大人になると、我慢していればできるようになるわけじゃないし体力だって減ってくるので、うまく休みながら走れる技術が必要になってくる。でも我慢して最後まで力を振り絞る一生懸命な子供時代を送ってきた人ほどそのやり方が抜けなくて(その方法による成功体験もありますしね)、結果、疲れきっちゃったりするらしいんですね。

頑張ればなんとかなる!っていう方法ではなく、自分の状態とうまく付き合いながら休むことを忘れずケアしながら進んでいくっていうのが、大人には必要なんだなぁ。

疲労をコントロールするための実践的な考え方や方法が載っていてなかなかの良書でした。

 

そういうわけで、最近は自分の生活や身体の調子など、色々なことを「明らかにする」のをテーマに日々を過ごしています。

もーね、私ね、最近目のトラブルが続いてましてね。。。ドライアイ、飛蚊症、光視症。ちゃんと検査してもらって怖い病気ではなかったです。ドライアイの目薬、3種類も出されちゃったよ。眼科の先生が「脳の血行が悪くて出る症状かも」とかいうから脳神経外科MRI、MRAまで受けてきました。脳外の先生は「結構そういう症状の人来るんだけど、大抵異常ないんですよね。様子見でいいと思いますよ」と言ってまして、結構いるんだと事実に少し安心しました。

うまく自分の身体や心と付き合っていきたいですね。

 

 

顔彩画。今回は画仙紙ではなく和紙に描いてみました。スマホ撮影だと紙のうねりが影になって写っちゃいますね。。まあ練習制作なので良しとします。

風船を描いたつもりだったんですが、なすび袋みたいになってしまいました。形状注意。

和紙は画仙紙の時と違って水彩絵の具みたいな感覚で描けますね〜。滲まないし伸ばせる。塗りやすかったです。でも顔彩ならではの粒子が紙にのる感じを活かすには画仙紙の方が向いてるのかなという印象を受けました。探究の日々。

 

モルフォ人体デッサンも続けてます。

 

色鉛筆画は公募展用なので公開できず。色鉛筆画に一番時間を割いているのに、ブログ上だと色鉛筆画は最近描いてない人みたいになってますね!

顔彩の描きごこち/ふるさと納税

ふるさと納税、顔彩や画仙紙もあるんです。すごいなぁ。ふるさと納税様様ですよ。

日本画ユーザーにはお馴染みの狐マークの胡粉を製造している上羽絵惣さんの顔彩。

胡粉ネイルなんてものもの作ってらして、ネイルの容器にあの狐さんのマークがついているのがテンション上がります。

 

こちらは画仙紙はがき(写真左)。

しかもおまけまでつけてくれました!(写真右)感謝。福井県大好き。

これに限らず、福井県大好きなんですよ。いいとこですよ、みなさん。行きましょう。感染予防しつつタイミング見て行きましょう、福井。

 

 

福井の思い出話はまたいつかする事にして、今日は顔彩の話をします。

色鉛筆画ももっと描きたいんですけどねー…なんかパッと描き終わるもんじゃないんですよ、色鉛筆画って。色鉛筆画の少しずつ色を重ねて出来上がっていく感じが好きではあるんですが、ささっとスケッチ的に一作品描きたいこともあって、そういう時に色鉛筆って(私にとっては)時間かかり過ぎちゃうんですよね。

で、透明水彩も持ってるんですが、なんとなく自分のテンションが上がらず(水彩画を見るのは好きなのに!)、顔彩に手を出しているわけです。日本画とか伝統品とか大好きだからね。

 

でも顔彩、難しいです(笑)

基本的に透明水彩の絵の具と扱い方は同じなんですが、こう・・・ちょっと粒子が紙にもったり乗る感じがあるんですよ。岩絵具ほどざらっとはしてないですけどね。

洋紙(水彩紙とか)に描くと粒子が少し浮くような感じがあります。水分少なめにするとあまり感じませんが。

やっぱり和紙の方が馴染みがいい気がします。粒子が置いたところに留まるイメージ。で、手軽に手に入りやすい画仙紙を使っています。

画仙紙は滲みどめがあまりしっかりされてないというか、滲みで味を出せる紙なんですが、じわっと染みる感じが今まで使っていた紙と違うのでうまく扱うのになかなか時間がかかりそうだなと感じています。

滲むけれど顔彩の粒子が留まりもするので、筆にどれくらい絵の具と水分を含ませて、どういう手順で描くかが仕上がりに影響する感じがあります。

 

3枚描いたよ。スキャンせずにスマホで写真を撮ったので少し紙色が暗い。ドンマイ。

 

1枚目

筆ペンと顔彩で。迷い迷い描いている感じあるなー。塗っているときには濃く感じられた色が乾くと淡くなった。薄くぬったところほどより淡くなった感じがある。

 

2枚目

筆ペンをやめて鉛筆線にした。筆ペンだと和の感じが強く出過ぎちゃったので。

水彩絵具&水彩紙みたいに「絵の具を乗せてから水で伸ばす」ことが顔彩&画仙紙の組み合わせでは難しいと気づく。顔彩の粒子の留まりをうまく扱えるようになれば味のある模様を生み出せるかも?

 

3枚目

顔彩を絵皿にとって水分量を調節しながら描いてみた。2枚目よりもまとまった雰囲気に。

より「顔彩ならでは」の絵の具ののり方や魅せ方ができるといいなぁ。

どんどん描きたい。

 

 

AIは絵描きにとって脅威なのか?

画像生成をしてくれるAIの存在によって絵描きの立場が危ぶまれるのではないかという意見があります。が、私はあまり脅威を感じていません。ただ先を読み誤ってるだけかもしれないけれど(笑)

 

私は、「ものを作るという行為が人を豊かにする」というのを信じています。

AIがうまい絵を描けるようになったとしても、「絵を描いたりするの面白い!作りたい!」っていう創作の楽しみは、消えるわけじゃないと思うんですね。人間が創作の楽しみを感じている限り、ヒトの技術への敬意や憧れも失われないと思います。

 

自分が絵を描いていれば、すごい絵を描ける人を見て「こんな絵が自分も描けるようになりたい」とか「どうやって描いてるんだろう」という興味や憧れが生まれるものだと思うんです。

それならば、「ヒトが描く」という事に価値があるし、技術を持った「人」に意味が生まれると思います。

 

ただ、AIが描いたか人が描いたかどうか判断がつかないとなってくると、自分が描いたという証明が必要になってくるのかもしれません。

今も制作過程の動画などがありますが、「描いている姿」に対する注目が高まることもあるかななんて思います。

 

 

脅威を感じないという意見の私ではありますが、下請け的な絵の発注は減るかもしれないと思っています。その分、AIにどんな絵を読み込ませ、どんな指示をするのかという創造力や表現力が求められる。

絵を描けない人でも想像したものを形にできる面白い時代になるのかもしれません。

 

 

 

 

 

さて、ここから先は蛇足。個人の最近の話。

 

・色鉛筆画

少しずつ公募展用にF10号作品を描いてます。ちまちま。亀の歩み。

 

・顔彩

これも少しずつ描いてます。気分転換的に、楽しく。

 

・読書

日本画の本を主に読んでいます。面白い。日本画が好き。

メンタルトレーニング系の本も読んでる。勉強になる。

 

そんな感じでしょうか。それぞれのことをもうちょっとちゃんとした記事にしたいなーと思いつつ、少ない時間をどれだけブログに割くかという点に悩んでいます。理想は毎日更新なんですが。うーん。。

最近は疲労度コントロールを試みていて、自分の疲れ度、精神状態を記録して、長期的に動けるリズムを作ろうとしています。それをしてみると、やっぱり頑張りすぎると他に皺寄せがいくなぁってことが目に見えてわかる。。。

3歳4歳の子供たちが大泣きしたり喧嘩したり喚いたりするのが日常茶飯事の中で(でもかわいいよ)、感情的にならずに対応するにはかなりの余裕が必要。かなりの余裕がある状態を保つには、意識的にやることを減らしたり休む量を調整しないといけないと感じています。それがなかなか難しい。

それになんとかして絵は描きたいんじゃ…!絵のことを考えていたいんじゃ…!

 

とりあえずモルフォのデッサン練習を載せておきます。

 

お墓参りと顔彩画

朝晩の空気がひんやりと涼しくなってきました。虫の音も賑やかな蝉の声から秋の虫たちの合唱に変わってきています。私はこの季節がうつろいでいく時期が好きです。

道端には彼岸花。燃えるような赤が目を惹きます。あの世の花のようで苦手な方もいますが、私はあの独特の形と色と同時期に一斉に咲く姿が好きです。雄しべ雌しべが美しい弧を描いて上へ向くフォルムが繊細な飴細工のようでもあって、作り物のような奇妙な妖艶さを感じるところも魅力的です。

 

 

夏、初めて下の子も連れてお墓参りに行きました。コロナ禍もあって今までなかなか遠くのお墓に参ることができていませんでした。

お義母さんは孫がお墓参りをする姿を見て「ご先祖様も喜んでると思うわ」と喜んでいました。

 

前に読んだ日本文化の本の中に、もともと日本人の人生には四つのステージがあったと書かれていました。生まれてこどもとして過ごす時期、成人し大人として生きる時期、死んで祖霊として扱われる時期、そして神的な存在として世界に帰す時期。これを今の時代に言っていたらオカルト感が出てしましますが、科学がや医学が発展しておらず死がもっと身近であった時代には大切な価値観であったのだろうと思います。

この夏、家族で墓参りをして、ああ、美しい世界観だなと感じました。人の死が単なる生命の終わりではなく、後に生まれた人と人を繋ぎ、世界と関わるものになっていく。

まあ実際問題お墓の管理とか大変だろうから自分の墓を残すかと言われると別問題だなと思ってますけどね。

 

 

さて、気分を変えてここで一枚。

線香花火をやってるところ。蝋燭はなくてもよかったな。

ちょっと顔の当たりが滲んで崩れてしまった。際の処理も甘い。

ラフに描き始めたので色々ツッコミどころはあるけれど、全体の雰囲気は気に入っています。

次につながる絵。

 

顔彩で描きました。今後顔彩もちょこちょこ手を出していきたいなーと思っているんですよね。

ぶっちゃけ顔彩って岩絵具に比べると物足りないし透明水彩に比べるとちょっと濁るし、教本的なものを探しても出てくるのは絵手紙の本か墨彩画の本で、んーどういう位置付け?って感じでした。

でもこの絵を描いて何かを掴んだ気がする!!手軽に扱える日本の伝統的な絵の具なので、もっと可能性を広げていきたいです。