お絵かきブログ/絵を描いて見えたもの

何かをつくったり、アートに触れたりする楽しさを、共有できたらもっと素敵。

絵を描くのに解剖学は必要か/平和について思うこと

最近は隙間時間にモルフォ人体デッサンを練習しています。

5分くらいあればちょこちょこ進められるので良いです。

 

モルフォ人体デッサンは、さまざまなポーズの中で筋肉がどのようについているかを見ながら描けるので、身体の構造を理解するのに役立ちます。

私は筋肉の上に身体のラインがどんな風に現れるのかを学びたいので、筋肉のラインはうっすらざっくり理解ににとどめる程度に描いて、表面に出てくるであろう線をしっかり描いています。

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さて、ここでよく耳にするのが「絵を描くのに解剖学の知識は必要なのか」と言う問い。そのニュアンスとしては「身体の構造を知っておいた方がいいだろうけど、絶対にやらなきゃダメなのかな?」といった感じだと思います。

 

これはその人によるかなと思っています。

自論ですが、初心者は必要ないかな、と。もちろん「人体の構造すげー!!解剖学楽しい!!」って人は描く上でプラスになるのでどんどんやった方がいいと思いますが、なんとなく億劫に感じるのならば、まだやらなくていい。実際の人や素敵な絵を観察して描く方がためになると思います。

描いていくうちに、ここが上手くいかないな、とか、苦手だなって部分が出てきます。そこで解剖学の知識を入れると「こうなってたんだ」とスッキリして描くのが楽になるようになります。

つまり自分にとって必要なタイミングが訪れるわけです。

 

初心者→まずは好きなものを描こう

中級者→身体の構造の基礎知識を学ぼう

上級者→ガッツリ美術解剖学を学ぼう

 

って感じでしょうか。描きたい絵柄によっては上級者でもガッツリ学ぶ必要はないかもしれませんね。

 

 

基礎知識を入れるのであれば前にも紹介したこの本で充分かなと思います。シンプルにわかりやすくまとまっています。

 

私は今、中級者くらいかなと思っているので、上級者に近づくためにもがっつり学ぼうと頑張っております。昔にやってたら全然楽しくなかったと思うんだけど、今は「なるほどね〜!だから身体のラインがこうなるのね」と楽しく学べているので、少しは進歩しているのかなと。

 

 

 

絵を描くとき、嫌いなことはしなくていいけれど、めんどくさいことは避けちゃダメだなと感じます。

だから、解剖学なんて嫌い!!って人はやらない方がいいと思います。やらなくて済む絵を考えた方がいい。

面倒だけどここ上手くいかないんだよなー上手くいったらカッコいいのになーって時は、資料探して勉強して納得行くまで取り組んだ方が絶対いい絵になると思います。

これは自分への戒めでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わって、平和について思うこと。

最近のウクライナ情勢は心配ですね。政治的発言はこのブログの意図と異なるので避け、平和について私が日々感じている話でもします。まあそれもこのブログの意図にあってるのか怪しいけれど(笑)

 

私はもともと不安が強い方でして。地震めっちゃ怖いです。

阪神淡路大震災の映像を見て子供ながら絶大なショックを受け、日常が急激に失われることに対する不安がおそらく人より強めです。小学生の自由研究も防災についてまとめた記憶。

先日子供たちと見たドラえもんでも、恐竜時代に隕石が落ちてきて世界は灰に覆われるシーンを見て、「現代でもこういうことが起こりうるんだよな…」とひとりブルーになる始末。

 

だからこそ一日が無事すぎたことに対する感謝も大きいです。それはいいところだと思う(ドヤ顔)。

そして、だからこそ、平和であることも祈っています。

 

 

 

 

10年くらい前、少年兵の保護活動をされているNPOの代表の方の講演を聞く機会がありました。

 

ある過激派組織は少年を拉致し、家族を襲わせる。

「母親の腕を切り落としてこい。さもなくば家族を皆殺しにする。」そう言って銃を突きつけられた少年は、家族を守るため、斧を持って母親の腕を切り落とす。

 

なぜそんなことをさせるのか。

 

少年の帰る場所をなくすためだ。

帰る場所をなくし、自分達の組織の一員として働かせるため。

 

その少年はその後無事保護され、保護団体が事情を説明し、母親も少年のことを許してくれた。

でも彼は言う。

「お母さんが僕を許して抱きしめてくれたことは本当に嬉しかった。でもわかってるんだ。僕がお母さんの腕を切り落とす前と同じように愛してはもらえないってことを。」

 

少年は保護施設で心のケアを受けながら暮らしている。

 

 

 

こんな話でした。

今、この時代で現実にそんなことが起こっているなんて。

驚きました。

 

私はナショナルジオグラフィックを定期的に読んでいるのですが、たまにこういった情勢の不安定な地域の様子が赤裸々に語られている回があります。

本当に、平和で無事1日が過ぎることのありがたさを思う。世界中の子供たちが幸せであってほしいと願います。

 

 

 

不安が強くなった時に思い出す法然の言葉。

明日死ぬかもわからない、死の日を選ぶことのできない私たちにできることは、ただ、今あるいのちを養い、育て、守ること。

今ある私の命を、養い、育て、守る。

 

何が言いたいのかまとまらなくなってきましたが、そんなふうに私は生きております。