さて、昨今の私はと言いますと、前と同じように公募展用の絵を描いております。完成させるんだ!頑張れ私!
引き続きクロッキーやらモルフォ人体デッサンやら。
こどもってなんであんなに動くの。描いてるうちにどんどんポーズ変わるわ。
子どもの絵と言えば、いわさきちひろさんの絵が好きなことはちょこちょこお話しているかと思うんですが、鈴木永子さんの絵も素敵です。
子どものやわらかい感じとフォルムがよく表れてて、感心しきりです。
いわさきちひろさんの描く線もそうですが、子どもの柔らかい雰囲気を描くには、柔らかい鉛筆で優しく丸くリズムよく、流れるような線を描けるようになる必要があるのかなあ。
今後もよく観察し、人体を勉強しようと思います。
また、この本も読みました。
すごくわかりやすかったです。水墨画の魅力がよくわかる。水墨画入門書としては最適。
私が水墨画を好きなところって、線で遊んだり、独特の空間感があったり、見る人に心情を委ねてくるところなんですが、それらを丁寧に解説してくれていて、かなり好印象でした。
水墨画的なものを自分の絵にも取り入れていきたいなぁ。
そーしーて!!
少年ジャンプ+の漫画、『さよなら絵梨』読みました。
あらすじの説明をしにくいので省きますが、いろんな解釈のできる漫画でしたね。
作中作としてどこまでが現実でどこまでがフィクションなのかを彷徨って楽しんでもいいし、愛と別れの物語として読んでもいいし、スマホ越しの映像のようなコマ割りで展開していく新しいことを実験した意欲作とも取れるし、B級映画爆発エンドと面白がってもいいし、もっと他の捉え方をしてもいい、そんな作品。
ここからは私の読み方の話をします。何が正しいとかじゃなくて、ただ私の読み方。読んでない人は置いてけぼりだと思いますが、気にせず書きます笑
私がこの作品を読んで最初に思ったのは「え、『檸檬』!?」でした。
梶井基次郎の『檸檬』は丸善にレモンを置いて爆発する話です(なんて雑な説明)。
いまだによく理解できていない小説ですが、鮮烈なインパクトを残していく強さのある作品。
解説を読むと丸善を一つのシンボルとしてまあ吹き飛ばすイメージをしているんですが、『さよなら絵莉』ももしそうだとしたら、主人公は一体何を爆発させたかったんだろう、そんなふうに考えました。
私は、「映像に写ったものを真実として捉える世界」を爆発させたかったと感じました。
主人公は、母が死ぬ前に美しい姿を撮ったけれど、本当の母はひどいこともたくさんしていた。母を思う気持ちが母を美しく撮ったと同時に、彼が我慢していた思いを爆発という形で表現した。けれど映像に写った「美しい母」の姿を真実として捉えた人たちは、最終的に爆発をする作品作った彼を否定した。
絵莉は違った。彼の爆発を肯定した。絵莉に魅かれ共に作品を作った。美しい絵梨とその死を撮った。その作品は人々の心をうった。本当の絵莉は美しいだけではなかったし嫌なところもたくさんあった。けれども映像に写った世界を人々は受け入れ、心に残した。
主人公に違和感が残った。美しい絵梨を見る心は彼にもあったのだとおもう。だからこそ美しい絵梨が撮れた。でも彼の見た真実も思いも行き場はないままだった。彼は自分の真実を見失ったまま生きた。
吸血鬼の絵莉と会う。彼女は彼が撮った作品を真実として捉えるもう一人の絵莉。主人公は自分が一緒にいた絵莉と目の前の吸血鬼の絵莉との決定的な乖離を見る。映像の中の世界は彼にとっての真実とは異なることに気づく。
彼はファンタジーという形で自分の思いを表現する。彼は全てを爆発させる。心の中で、頭の中で、映像の中で。
以上が私の読み方です。最後の爆発の時、主人公は清々しい顔をしているし、彼はこれからやっと自分の思いや真実を受け入れられるんじゃないかと思っています。家族の死ともきっと向き合える。
良い話だったなぁ(自己満足)。