お絵かきブログ/絵を描いて見えたもの

何かをつくったり、アートに触れたりする楽しさを、共有できたらもっと素敵。

絵を描く上で人生に無駄はない

私の行った高校は私立の進学校でした。

私には完璧主義なところがあって、課された課題を律儀にこなし、大量の宿題を丁寧に解いていたので、成績はよかったです。

でも本当に校風が合わなくてつらかった。まあ学校選びのリサーチが甘かったと言ってしまえばそれまでなんですが、休み時間も宿題の答え合わせをしたり、体育祭の本番中も自分の競技以外の時間は単語帳を見ている。そんなクラスメイトたちに囲まれていました。

一人一人と向き合えばとても面白くて良い人たちなんですけど、その、常に勉強することが正義、みたいな学校の空気にどうしても馴染めなかった。

とはいえ完璧主義ゆえに簡単に勉強を放り出すことも出来なくて、必死に我慢しながら勉強を続けていたら、ある日突然何かが爆発。

もう勉強は嫌なのに勉強する大学行ってどうすんの?もっと好きなことしよ!

そう思って一気に方向転換、美大進学を決めました。許してくれた親に感謝。

 

そして美大の予備校に通い始めました。描いた絵を技術が高い順に並べられて講評を受けたりするのは、下手ゆえの現実を突きつけられてつらかったりもしたけれど、高校よりも断然楽しくて、くだらないことで笑い合ったりができる仲間がいる場にホッとしました。予備校行ってなかったら高校卒業できてたか怪しい。

 

予備校の先生はこう言っていました。

「遊びもつらいことも、みんな絵の糧になる。そこから発想を得たり作品をつくったりすることができる。だから全力でいろんな経験をしよう!」

この言葉にすごくすごく救われた。勉強だけじゃなくいい。人生、もっといろんなことをしていい。そう感じました。

 

大人になってから考えると、予備校の先生が言っていたことは絵だけじゃなくて全てに言えることだなと思いますけどね。

学校みたいな狭い世界にいると気付けないこともある。

 

絵を描いていると、「あ、これも絵にしたら素敵だな」とか「これ絵の参考になる!」とか

目に映るものが特別なものに見えてくる瞬間がたくさんあって、この、絵を描いているからこそ得られる贈り物が好きで、絵を描くのをやめられません。

いろんな経験が素敵な作品作りに繋がる。

この感覚に私は人生を支えられている気がします。

 

 

 

 

先日こどもがプールの体験教室に行ってきました。とても楽しかったようでこちらが感想を聞かずとも「またやりたいな〜」とつぶやいておりました。

家に帰ると「どうしても絵の具をやりたい」と言いだし、何を描くのかと思ったら「泳いでいる自分」の絵を描きました。

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体験がそのまま絵になる瞬間を見て、あぁこの子にとって今日のプールはとっても心が動く出来事だったんだなぁと嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

少し話はそれますが最近この本を読みました。

少々極端な部分もあるかとは思いますが、とてもよい内容でした。

最近どうもイライラしがちで、子供に小言ばかり言ってしまい(テレビに近づくな、ちゃんと座って食べろ、などですが、ずっとイライラしながらそういう指摘ばかりしている状態)、事態を改善したいと感じていました。

この本を読んで、子供に対する態度が変わりました。

 

この本には小言や指示を言わないで待つことの大切さが書いてあります。子どもがしていることではなく感情に目を向ける必要性が語られています。アイスクリーム療法なんていうのも載っています(気になる方はネットで調べてみてください)。

医師であり臨床心理士であり親でもある著者が知識と経験に基づいて書かれた本なので、説得力もあります。

 

家は基本的にくつろぐ場。安心できる場。ケアする場。話を聞いて受け入れる場。私にとっても夫にとっても子供にとっても。しつけの場ではない。そういう気持ちになりました。

そうすると自然と態度が変わるんですね〜。不思議。

 

とはいえ、私の場合、子どもたちに食事のマナーを身につけてほしいので、伝えはします。でも食事中に「あれダメこれダメ」言われたらつらいし楽しくないだろうなっていう視点をわすれちゃダメだと感じました。なので一食に一つだけ目標を設定。「今日は足をきちんとおろそう!」と宣言してその日はそのことだけ目指す。それ以外の、口開けて噛まないとか肘をつかないとかバランスよく食べるとかは、全て目をつむる。嫌な顔もしない。足を下ろしてあとは楽しむのみ!

そしたら子どもたちも「今日はかっこいい姿勢でしょ!」と嬉しそうに実践しながら食べてくれました。小言言わなくてもできるやん。

 

 

子どもたちが失敗するところを見守る精神力を、私が鍛えなければならない。

子供って失敗しても楽しければめげないんですよね。子ども特有の失敗しても立ち上がれる強さを潰さないようにするには、私の器量が試されている気がします(笑)

 

まだまだいらない小言や指示をしてしまう私ではありますが、豊かで心休まる空間づくりをしていきたいです。

 

 

 

 

話を無理やり元に戻すと、子どものすることもタイトルと一緒ですね。無駄に見えても、無駄なことなんて何にもない。遊ぶことも休憩することも失敗することも無駄なものなんてひとつもない。本当は大人も一緒なのかもしれません。

 

資本主義、成果主義が広まりすぎて、有意義なことをしていないと不安になったり自分にダメ出しをしてしまうことがありますが、豊かさを得るためにはもっと別の考え方が必要なのかなって思っています。

それに対する対処方法は今実験中なので、またいずれ記事にしたいと思います。