写真みたいな絵を見て思うこと。
最近の色鉛筆画でSNSやメディアで注目を浴びるものって写真みたいに精巧に描かれたものが多いです。
私はこれに関して、モヤモヤとした思いをずっと抱えていました。
写実的な絵を批判するつもりはありません。
実際、この前見に行った「色鉛筆アート2024」の三上詩絵さんや音海はるさんの絵が私は好きです。
私がモヤモヤしているのは「写真のようにそっくりに描くことが流行っていること」です。
確かに写真のような絵ってわかりやすくすごいです。絵に全く興味のない人が見てもその技術の凄さを楽しめます。なので、多くの人の注目を集めやすい。SNSで言えばいいねを得られやすいし、TVなど不特定多数の人を相手に広く宣伝をする媒体にとっては扱いやすい「良さ」があると思います。
そういったものを目にして「自分も描いてみたい」と絵を始める人もいるので、間口を広げるという点でも、写真のような絵には価値があると思います。
でも私は「写真のように描くこと」をゴールにして欲しくない。
SNSやメディアで写真のような絵がもてはやされ、評価されるのを日常的に目にしていると、それが正しいかのように錯覚してしまうことがあります。
それで写真のように描くことをゴールにすると、写真にどれだけ近づけるか、本物にどれだけ似ているかが価値基準になってしまいます。まさにデッサン警察。学ぶ過程でデッサンの出来に自分自身が敏感になるのはいいことですが、絵の評価基準を「正しい・正しくない」にしてしまうと途端に絵がつまらなくなります。
写真に近づけ、本物に似せれば似せるほど、そこに個性はなくなっていきます。物の存在感だけ。色々考えた上で無個性化を目指してるんだったらそれはそれでありですけどね。
私は、絵は表現やコミュニケーションや自他の気持ちと向き合うためにあると考えます。
だから写真を見ながら描くのいいけれど(私もやってる)、写真そっくりに描くことをゴールにして欲しくないんです。
その物からどんな匂いがしたのか、どんな音がしたのか、どんな触りごごちだったのか、どんな気持ちになったのか、どんなところを美しいと思ったのか。そういうものが絵に現れるからこそ、その人らしい絵になるし、面白いんじゃないかと思うんです。
写実的な絵を描く作家さんには、その人らしさがあります。写真みたいに本物みたいに描いていても、その人ならではの美しい感性がきらりと覗いているので、絵と同じような写真を撮ろうとしても撮れません。
対象をそっくりに描くことではなく、もっと自由に豊かに表現することを楽しんでほしい。
その方が描く人も観る人も色々な発見があって、楽しめる世界が増えるように思います。
とはいえ!最初はね、写真みたいに描けるようになりたいっていう動機で全然いいんですよ。憧れが絵を上達させるしね。でもそればっかりにならないで欲しいっていうね、個人的な感想です。
あとね、自分で楽しむための我が子の絵とか、好きなアーティストを描くファンアートみたいなのはね、話が別ですよ。そっくりに描きたいやつだもん。その人を思いながら向き合う時間自体が楽しいやつだもん。愛がこもるやつ。
以上、戯言でした。