先日、友人と赤坂プリンスクラシックハウス、ラ・メゾン キオイに行ってまいりました。
コロナ禍につけ幼い子の育児もあったので、友人に会ったのは実に2年半ぶり。2年半誰とも遊んでなかったのかと驚愕する(笑)
下の子が生まれると同時に引っ越してコロナ禍突入し、ママ友は無理に作ろうとしていないので(挨拶や世間話くらいはするよ。綺麗で優しいママさんが多い!)、本当に久しぶりの“友人との時間”でした。
彼女は美大に通っていた頃からの友人で、自分の価値基準がしっかりしているところや穏やかなのに自分の意見ははっきり伝えるところや自分で楽しいものを探そうとするところが素敵な人で、絵のセンスも良くて、私にとってはソウルメイト的な存在です。
キオイのアフターヌーンティーも彼女の勧めで行くことになりました。私の中にはこんなお洒落な選択肢は皆無なので(笑)、こうやって素敵な新世界に連れていってもらえるのもとても嬉しいイベントでした。
クリスマス感満載!
その友人が「世の中に出て自分の感覚って少数派だったんだなと感じる」と言っていました。
友人曰く、絵の予備校や美大では共有できていた感覚が社会に出てみると少数派で、うまく言えないけれど周りでは感性的な話が少ない、とのこと。
「大学の先生が卒業の時にメッセージをくれて、今でも覚えてるんだけど。これからも素敵な感動をどんどん見つけていってくださいっていうようなこと。そういうことを言う人が少ないなーって。」
何となくわかるような気がする。私もうまくは言えないけれど。
卒業の時ではないけれど、その先生がくれたメッセージを発見したので紹介します。
謙虚に自分を顧みて挑戦を続ける先生らしい言葉。そして身の引き締まる言葉でもあります。
絵っていうのは不思議なもので、巧く描こうとかとか小手先の技術で描いたものでは伝わらないけれど、本気で心から描いたものであれば、その人が何を思いどんなものに興味があって何を信じているのかみたいな、心の奥にあるものを描く人と見る人が対等な目線で語り合うことができると感じています。
そういうのって言葉にするのって難しい。気恥ずかしかったりもするし。普段生活している中でそういうやりとりができることってなかなかないし。
だから絵を通して語り合えるってとても素敵なことだなぁと思うのです。
「観念を打破する」といえば、私は荒井良二さんの絵本がすごく好きで。
美しい絵を描く技術も持っているんですが、子供のような自由さも持ち合わせていて、出版社に「これは元々印刷されていたものですか?それとも誰かの落書きですか?」って質問がきたり、子どもに「下書きの線は消したほうがいいよ」とか言われたりするような、幼い頃の原体験に近い描き方もされる方なんですね。
初めて見た時、胸がドキドキしました。ああ、絵ってこんなに自由でいいんだ!絵を描くってこうやってワクワクするものだった!って。
私も絶えず新鮮な感動を得るよう心がけて、生きて描いていきたいです。