お絵かきブログ/絵を描いて見えたもの

何かをつくったり、アートに触れたりする楽しさを、共有できたらもっと素敵。

色鉛筆画を描いた/多様性の話

色鉛筆画、描きました。

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水彩画の溶けるような色の混じり合い方が好きなのですが、水彩画を描くのはあまり好きではなくて(なぜか描いている間楽しめない。向いてないのかな)、色鉛筆であの雰囲気を出せないかなーーーと思いながら描いた作品です。
色調補正を多少していますが、写真に撮るとどうしてもグレーがかってしまうので、スキャナを買ってみることにしました!ちょっと高い買い物だったのでドキドキです(笑)早く届けーーーーー。白い紙が白く映るようにしたい。本当に。

最近Twitterで色鉛筆画を見ていると写真のようにリアルに描くのが流行ってるなと思うんですよね。私自身、リアル系色鉛筆作家の方で好きな作家さんがいるのでリアルな絵が嫌なわけじゃないんですが、色鉛筆でもっと抽象的な絵を描いたって素敵なんじゃないかと思うんです。リアルに描くことだけが全てじゃないというか。なので私はリアル系じゃない色鉛筆の使い方も追求してやるからな!と謎の意気込みを抱いています。

 

ちなみに、絵を続けていくには、技術的な練習だけではなくて、感情を自由に描く楽しさや創造性を引き出すためのワークがあったらいいとも感じています。そのあたりも今探っているところです。今色々トライしているところなので、良いと思ったものをいずれ紹介していきたいです。

 

 

 

 

 

さて話は変わりますが、最近、「多様性を受け入れる」というテーマがよく取り上げられるようになりました。今の社会はの様々な問題に対し私なりの考えや思いもありますが、ここでそれを語るのはひとまず置いておいて、今日は私が初めて「多様性」を意識した話をしようと思います。

 

 

大学生の頃、「文化人類学」という授業をとっていた時に、聞いた話です。

何せ10年も前の話ですので、細かいところや状況を正確に覚えていないので、多少間違っている部分があるかもしれません。こんなような話もあるよ程度に読んでください。

 

ある学者が研究のため、野蛮な首狩り族と噂されいてる部族に会いに行きました。

彼ら首狩族は、自分達が首狩りを行なっていることで外の世界から非難され、不利益を被ることになるのを知っていたので、学者に聞かれても「自分たちはもう首狩りをしていない」と口を揃えて言いました。

けれども、その学者が彼ら部族と共に生活し、世間話をし、彼らの考えに理解を示そうとしていることが分かり、ついに告白しました。「実は、今も首狩りを行なっている。」と。

彼らは、儀式として、とある場所に潜み、そこを通った最初の人間の首を狩るのだと言います。それは彼らの魂を上へとあげるために必要な儀式なのです。

 

さて時は過ぎ、学者は国に帰らなければならなくなりました。首狩族たちはすでに友人と呼べる仲になった学者との別れを惜しみました。

学者は戦争のために招集がかかったのです。その理由を話すと首狩り族たちは怒り出しました。

「友人として言う。絶対に行ってはいけない。私たちは自分の魂のために人を殺しているが、国のために人を殺すなど絶対にやってはいけないことだ」と。

 

さーて、本当に野蛮なのはどっちなのでしょう。

 

 

 

これを聞いた時、うわーーー価値観って、正しいって、なんだーーー!ってなりました。

野蛮なのはどちらかという議論の正解ではなくて、自分の価値観が正しい訳ではないこと、常識は異なること、相手を知ることで思わぬ心を見つけること、そういういろいろなものを気付かされる問いでした。

 

この話を学生時代に聞いていたおかげで、多様性を受け入れようとする社会に対して、自分なりの考えを持とうとする意識を得られているような気がします。

世の中を知るって面白い。