画像生成をしてくれるAIの存在によって絵描きの立場が危ぶまれるのではないかという意見があります。が、私はあまり脅威を感じていません。ただ先を読み誤ってるだけかもしれないけれど(笑)
私は、「ものを作るという行為が人を豊かにする」というのを信じています。
AIがうまい絵を描けるようになったとしても、「絵を描いたりするの面白い!作りたい!」っていう創作の楽しみは、消えるわけじゃないと思うんですね。人間が創作の楽しみを感じている限り、ヒトの技術への敬意や憧れも失われないと思います。
自分が絵を描いていれば、すごい絵を描ける人を見て「こんな絵が自分も描けるようになりたい」とか「どうやって描いてるんだろう」という興味や憧れが生まれるものだと思うんです。
それならば、「ヒトが描く」という事に価値があるし、技術を持った「人」に意味が生まれると思います。
ただ、AIが描いたか人が描いたかどうか判断がつかないとなってくると、自分が描いたという証明が必要になってくるのかもしれません。
今も制作過程の動画などがありますが、「描いている姿」に対する注目が高まることもあるかななんて思います。
脅威を感じないという意見の私ではありますが、下請け的な絵の発注は減るかもしれないと思っています。その分、AIにどんな絵を読み込ませ、どんな指示をするのかという創造力や表現力が求められる。
絵を描けない人でも想像したものを形にできる面白い時代になるのかもしれません。
さて、ここから先は蛇足。個人の最近の話。
・色鉛筆画
少しずつ公募展用にF10号作品を描いてます。ちまちま。亀の歩み。
・顔彩
これも少しずつ描いてます。気分転換的に、楽しく。
・読書
メンタルトレーニング系の本も読んでる。勉強になる。
そんな感じでしょうか。それぞれのことをもうちょっとちゃんとした記事にしたいなーと思いつつ、少ない時間をどれだけブログに割くかという点に悩んでいます。理想は毎日更新なんですが。うーん。。
最近は疲労度コントロールを試みていて、自分の疲れ度、精神状態を記録して、長期的に動けるリズムを作ろうとしています。それをしてみると、やっぱり頑張りすぎると他に皺寄せがいくなぁってことが目に見えてわかる。。。
3歳4歳の子供たちが大泣きしたり喧嘩したり喚いたりするのが日常茶飯事の中で(でもかわいいよ)、感情的にならずに対応するにはかなりの余裕が必要。かなりの余裕がある状態を保つには、意識的にやることを減らしたり休む量を調整しないといけないと感じています。それがなかなか難しい。
それになんとかして絵は描きたいんじゃ…!絵のことを考えていたいんじゃ…!
とりあえずモルフォのデッサン練習を載せておきます。